コラム

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加藤直樹

#47:助っ人帰国の舞台裏(後編)

主に二人の選手を担当した今シーズン、一人目の帰国の際は想定外の超過料金を請求されて急遽フライト変更を余儀なくされました。残りもう一人の選手の帰国も最後まで何が起きるかわからないと気を引き締めて帰国サポートに取り掛かったわけですが、こちらの選手も最後までてんやわんやの大変な帰国劇となりました。

◾️帰国日のサポート

帰国便が決まったら、担当通訳が帰国便の時間から逆算してタクシーを手配し、当日は空港までの移動や荷物をチェックインカウンターまで運ぶのを手伝います。中南米系選手の場合、チェックインでは英語ができない選手、あるいは英語ができても空港でのやり取りに必要な英語に慣れていないことも多いので、通訳者が一連の手続きをサポートします。(前回コラムで書いた預け荷物の追加料金が判明したときも、英語は上手な選手でしたがルールの説明が少し複雑だったため通訳者が間に入ってスペイン語でやり取りをしました。)チェックインが終わると、例年選手の帰国前コメントを求めて空港まで駆けつけた記者の方がいるので、質問を通訳します。そして、ようやく選手が出国ゲートを潜るの見送り帰国日の業務はひと段落する、というのが大体の流れになります。

■スーツケースは30個、車5台での大移動

今回同行した二人目の選手は妻と両親も日本に滞在していたため選手含めて4人で帰国の段取りを進めていました。家族が一緒の場合、過去には多い時はスーツケースが10〜12個を持って帰った選手もいたことから、ある程度多くなることは予想はしていたつもりでした。しかし、持っていく荷物の数を聞くと、なんと30個とのこと。流石に聞き間違いかと疑ってしまいましたが、どうやら本当のようで、最終的に8人乗りのワゴンタクシーを4台手配し、私の自家用車も入れて車5台での大移動となりました。数量が数量なので、通常3時間前に空港に着くように移動しますが、今回は4時間前の到着を見越して空港に向かいました。空港では、すべて大サイズのスーツケースであったため一台のキャリーには3個が限界。総数30個なので、10台のキャリーを手分けしてピストンしながらなんとか出発ロビーまで移動させました。その後も、お金の両替や預け荷物のラッピングも手助けし、チェックインカウンターに着く頃にはすでにへとへとでした。

■複雑な現地の税関事情、立ち往生1時間

チェックインカウンターに着いて安心しかけていましたが、まだまだ終わりではありませんでした。総数30個の預け荷物について「それぞれ誰の名義とするか」で問題が発生しました。というのも、空港に行く前のことですが、事前に預け荷物の超過分の追加料金をオンラインで払ってしまいたいとの選手の要望もあり、支払いは済ませていました。このとき、タグ付できる荷物は超過分含めて一人最大10個との航空会社のルールに沿って、選手と妻で10個ずつ、両親それぞれ5個ずつで計30個と設定をしていました。ところが、現地の税関は特殊なルールがあるようで、選手は11個、妻は5個、両親それぞれ7個での30個、というこの割合での振り分けでしか入国の際に荷物を通過させてもらえない、と言うのです。そのため、航空会社の東京オフィスに電話をして確認をしたところ、「名義の振り分け数量は空港カウンターで調整ができる」と回答を貰っていました。

これら一連の背景をチェックイン時に説明をすると、「名義の変更はできない」と言うのです。事前に聞いていた話と違い、これでは選手も荷物を持って帰れなくなるため、どうにかしろ言わんばかりに係員に詰め寄る勢いで捲し立てます。言葉は理解できなくとも怒っている様相は係員にも伝わり、私も選手のお国の事情を説明し、なんとかできないものかと係員と選手の間に入り頭を悩ませ続けること約一時間。最終的に5個と5個で設定していた両親の預け荷物にそれぞれ追加料金を払い、選手10個、妻5個、両親がそれぞれ8個と7個とし、選手が言う振り分け数とは僅かに違いますが、これで帰国を試みることで納得し、チェックインを終えました。本来は選手が出国ゲートを潜るのを見送ると同時に肩の荷もおりますが、今回はなかなか気が緩まずしばらく緊張感と疲労とが続きました。 幸いにも数日後、選手から「荷物全て持って帰国することができた」と連絡がありました。この時はようやく張り詰めていた緊張感が解けていくのを感じました。同時に、本来は長いシーズンを終えて安心して帰国してもらうべきところ、余計なストレスを抱えさせてしまったのではないかと反省も残りました。もし事前確認がもっと徹底できていればもう少しスムーズに進められたかもしれん。 今回の出来事は、通訳者としての「段取り力」と「想定力」の重要さを改めて痛感させられる経験となりました。

加藤直樹

加藤直樹

福島県出身。スポーツメーカー勤務後、独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として活動。その後、ジャイアンツアカデミーコーチを経て現在、巨人軍スペイン語通訳。

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