コラム

COLUMN

前田悠也

第26回:オーストラリア滞在記(あとがき)

前回のコラムでその人となりについて触れた主将ですが、あるときこんなことがありました。遠征を終えてアデレードに戻る飛行機内で、ある日本人選手と私は非常口付近の座席に座っていました。非常口席に座る乗客は、緊急脱出の際に他の乗客を援助することが義務付けられています。本来なら、非常口席には英語を理解できない乗客は着席できませんが、スペースに限りがあったことから、通訳の私が隣に座ることを条件に、彼がその席に座ることが認められました。非常脱出時の協力義務を説明して、非常口席に座る乗客一人一人から同意を得ようとする客室乗務員の言葉を、私は隣に座る選手に訳していましたが、説明の途中で客室乗務員から、「静かに聞いてください」と注意されました。たしかに自分が懸命に説明している最中、相手が外国語で何かを話していたら、雑談をしているように見えてもしかたありません。一通り聞き終えたあと、要点をまとめて訳せばよかったのかもしれません。そこまで考えが至らなかった私にも非はありますが、「私は自分の仕事をしているだけだ。そもそも条件付きで着席を認めたのはあなたたちではないか」と、少し悶々とした気持ちになりました。すると反対側の非常口席に座っていた主将がとっさに、「彼は通訳。あなたの言葉を訳しているんだ」とかばってくれました。私は救われた思いがしたと同時に、選手だけでなく、私のようなスタッフも気にかけてくれる彼の人柄に、大いに感銘を受けました。

11月某日、2年連続でリーグ優勝を達成したチームを称えたいと、南オーストラリア州首相(米国の州知事に相当)から招待を受け、選手たちは同州の議会を訪れました。私も日本人選手に同行して、レセプションに参加しました。首相や秘書官、議員などが一堂に会す中、選手たちは一人ずつ名前を呼ばれ、優勝が決まったときのビデオが上映され、記念品の贈呈や写真撮影が行われました。中でも積極的に日本人選手に声をかけていたのは野党の党首で、「野球選手としての今後の目標」や「プレッシャーの中でも結果を残し続ける秘訣」などを質問して、選手の発言に興味深そうに耳を傾けていました。首相はスピーチの冒頭で、「実は野球のことは何も知らないのだが」と切り出して、場内の爆笑を誘っていました。豪州では、ラグビーやクリケットに比べて野球はマイナーなスポーツであるものの、政治家たちは、球団の躍進が地域社会の活性化とアデレード市、ひいては南オーストラリア州の知名度アップに繋がると考えて、今後も野球の魅力を発信していきたいと話していました。

日本に帰国する前日、豪州最後の試合を終えた直後に監督の呼びかけでチームミーティングが行われました。監督はそこで、「ここには世界中からすばらしい仲間が集まっている。これまでチームに貢献してくれたみんなに渡したいものがある」と、日本人選手とスタッフに、“Australian Citizenship”と記された市民権証明書を贈りました。ここでおもしろかったのは、この「市民権」が私たち日本人だけでなく、ニュージーランド出身の選手一名にも付与されたことです。この選手はシーズン終了までチームに帯同する予定ですが、強いニュージーランド訛りの彼に、「お前も豪州市民と認めてやるよ」と言わんばかりに証明書を手渡す監督と、苦笑いを浮かべながらそれを受け取る選手の姿に、ロッカールームは大爆笑に包まれました。むろんこの証明書は本物ではありません(「大臣」の署名欄にはGMの名前が記載)が、A4サイズの紙の裏には豪州国歌、“Advance Australia Fair”の歌詞がプリントされており、「改めてオーストラリアへようこそ。最後にみんなで歌おう」と、全員で国歌を歌うことになりました。クラブハウスのスピーカーから大音量で流れる旋律に合わせて、皆で胸に手を当てて歌いました。試合開始前に斉唱するときとは違い、異国の地で仲間として受け容れてもらった喜びと、名残惜しさが入り混じった、“bittersweet”(ほろにがい)と呼ぶにぴったりな気持ちになりました。歌い終わると選手たちは抱擁を交わし、ユニフォームや道具などを交換して、お互いの健闘を祈っていました。私もお世話になった監督やコーチ、選手、スタッフにお礼を言って回りましたが、とある若いキャッチャーが、「日本人投手とのコミュニケーションを支えてくれてありがとう」と、彼が米国で所属する球団のパーカーをプレゼントしてくれました。また最後に投手コーチから、「餞別だ」と渡されたビールの味は、今でも忘れることができません。チームが3連覇を達成できるよう、引き続き日本から応援します。

豪州滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りして御礼申し上げます。

前田悠也

前田悠也

東京都出身。中学から米国に留学。現在、巨人軍英語通訳

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