COLUMN
#37:選手家族(前編)

みなさんこんにちは、読売巨人軍スペイン語通訳の加藤です。前回のコラムでは通訳者自身の体調管理の大切さについて書いたばかりですが、ここ最近は休日や空いた時間に選手の家族関連の対応をする日が続きました。ただ、実際のところは「休日も含めて家族の要望に対応しなければいけない」のように業務内容として明記されているわけではなく、とりわけ日常生活における家族関連のサポートについては通訳者の裁量或いは厚意に委ねられる場合が多いのが現状です。ワークライフバランスという言葉が聞かれるようになって久しいですが、通訳者にとってもオンとオフのバランスの取り方は重要な中で、私なりの選手の家族に対する考え方について書きたいと思います。
◼️業務と休日の境界はない
先日、選手の奥さんから「子どものゲームソフトが入ったケースをタクシーに忘れて来てしまったのでタクシーに問い合わせをして欲しい」と連絡がありました。しかし、レシートはないとのことで、やむなく都内のタクシー会社全て(20社くらい?)に電話をかけて確認をした、ということがありました。
また別の日には、来日していた選手の親族がパスポートを紛失したと連絡があり、空港やタクシー会社など心当たりのあるところに連絡をしたり、その時は結局見つからず、警察署への遺失届や該当国の大使館にパスポート紛失時の対応の仕方などを確認したり…休日や空いた時間を使って対応しました。
心身の体調管理の点でも自由時間は通訳者にも貴重なので特に球場外や休日になると「休ませてほしい….」「それくらいは自分でできるのでは….」と思う時があるのも正直なところです。が、かと言って、球場外のことは業務外ですと突っぱねることもなかなかできません。特に、スペイン語系の選手の家族だと言語の違いから対応頻度は多くなる傾向があります。
◯選手家族のよくある要望
来日時の空港送迎とタクシー手配/記念日関連のケーキや装飾の手配/傷病時の病院への同行もしくは電話を通じての通訳/住民登録などの役所手続き/銀行口座開設/所有品紛失時の問い合わせや警察署への遺失届の提出/遠征同行時など家族分のチケット手配/ルームサービスの注文 |
◼️家族の信頼は選手の信頼に
球場にいながら遠隔でできることもあれば、休日に一緒に同行する必要がある場合もあり、対応の仕方は様々ですが、球場での業務中もそれ以外の時間もなかなか気が休まる時間がないことに、通訳なりたての頃は慣れるまでに大変でした。ただ、何年か経験を積んでくるうちに、球場外でのサポートは一見業務外に見えて、選手との関係構築においてとても重要で、特に選手家族と良い関係が築けると選手と通訳の信頼関係も自然と深まることに気がつきました。選手の奥さんが通訳者に好印象を持ってくれれば、自ずと選手の通訳者への信頼度も高まりますし、また逆も然りで、選手の奥さんや子どもに通訳者が嫌われてしまうと当然選手も通訳者に不信感を抱いてしまいます。これは、仕事仲間や交渉相手、顧客などビジネスの中で相手方の家族とも良い関係が築けると交渉が進みやすくなる、買ってもらえる、合意しやすくなるなどビジネス全般に通ずることかもしれません。
◼️ファーストレディ外交から学べること
通訳の話とは少しかけ離れたように思われるかもしれませんが、選手家族の信用、とりわけ選手の奥さんに良い印象を持ってもらうという点で興味深いエピソードを紹介します。
私がスペイン語を学習するきっかけとなった中米コスタリカには、ノーベル平和賞を獲得したオスカル・アリアス元大統領がいます。彼が大統領職に就いた1986年は同じ中米のニカラグア、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルが内乱に陥り隣国コスタリカにも戦争の脅威が歩み寄る切迫した時代で、そんな折に当事国間での停戦合意を成し遂げたのがオスカル元大統領でした。平和実現の功績が評価されてノーベル平和賞受賞となったわけですが、実は表舞台の影でファーストレディ(大統領夫人)たちの影響が大きく働いたと言われています。オスカル元大統領は、戦争で一番被害を受けるのは子どもたちとその子どもたちを育てる母親であると考え、各国大統領のファースレディに着目します。そこで、コスタリカ政府の要職に女性を起用し、その女性を通じて各国の大統領夫人に平和実現の協力を呼びかけ彼女たちからそれぞれの夫(大統領)へ説得してもらうことを試みていたのです。
オスカル元大統領のエピソードは、家族の心を掴むことが、敵対心を解き信頼関係を築くカギとなることを教えてくれます。そう考えると、雑用的に思えることでも要望に応えていくことで、家族の信頼も高まり選手との関係に還元されていくのだと思います。とはいえ、24時間いつでもサポートするぞ、という意気込みは行き過ぎですし通訳者の体が壊れてしまいます。次回コラムでは、選手家族から「何もしてくれない通訳だ」と思われずに、それでも自分の時間を確保するためにどうすればいいか、私が考えていることや実践していることについて書きたいと思います。
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加藤直樹
福島県出身。スポーツメーカー勤務後、独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として活動。その後、ジャイアンツアカデミーコーチを経て現在、巨人軍スペイン語通訳。