COLUMN
#45:「挨拶」が三文の徳な理由

球団によって作りはそれぞれ違いはあると思いますが、読売巨人軍が主に使用する東京ドームとファーム施設ジャイアンツ球場は、選手ロッカーとスタッフのロッカーが別々に設置されています。なので、特に用事がなければ選手とはグラウンドに出るまで選手と顔を合わせることはありませんが、私は必ず選手ロッカーに行き、挨拶をするようにしています。当たり前のことかもしれませんが、自分から選手に歩み寄って「Buen día (おはよう)」や「Cómo estás? (調子どう?)」と声をかけることで、「あなたのことを気にかけているよ」というメッセージを自分なりに伝えることが目的です。
先日ある著名人が、「挨拶をするメリットは相手に『自分が敵ではないと知らせること』、つまり相手に『安心感』を与えることだ」というお話をされていて、とても共感しました。安心感を感じる人にはついつい頼りたくなったり、仕事を一緒にしたい気持ちになったりするものです。良い人間関係には「挨拶」が欠かせないのは心理的にも確かな理由があるのだと改めて感じます。
◼️治療を拒否した選手と頭を悩ます医療班
今年から新しく入団したある外国人選手がいます。彼は加入当初は慣れない環境にストレスを感じることが多く、想定外のことが起きると苛立ちを見せることがよくありました。チームトレーナーから受ける治療においては、当初は施術してもらう度に不満を口にし、何が不満なのかも言わず、ついには治療を拒否する日も出てきました。トレーナー陣も頭を抱える時期があり、特にトレーナーKさんに対しては「もう治療をしてほしくない」とまで言うようになっていました。
一見、自己中心的で横暴な性格にも見えますが、それは内向的で人間関係に極度に慎重な性格の裏返しで、新しい環境で自分の身を守りつつ、信頼できる人が誰かを見極めていたのだと思います。新しい学校や職場に入ったばかりの頃、誰が信頼できて仲良くできそうか、懐疑心や不安を感じたことがある、そんな経験の極端な例と言えばわかりやすいかもしれません。時間の経過とともに人間関係の距離が縮まってくれば、医療班の人たちともうまくやっていけるはずと考え、医療班の人たちから誤解をされないように選手の性格を説明することに努めました。
◼️拒否から信頼へ −毎日の一言が距離を縮めた−
体が資本のプロ野球選手は試合前後や、出番の遅い中継ぎ投手であれば試合前半の間にマッサージや針、電気器具などの治療をチームトレーナーから受けます。上述のKさんは練習の合間に各選手にその日の治療の有無を確認する役割を担っていました。外国人選手の場合は通訳者に確認をお願いされることが多いのですが、Kさんは「Vas a necesitar tratamiento? (治療は必要ですか?)」というスペイン語を自ら覚えて、毎日その選手に治療の有り無しを聞き続けました。
そして二ヶ月ほど経った時のこと、選手から突然「あなたにお願いしたい」と言われたらしく、「聞き間違いかもしれないのでもう一度(選手の母語で)確認してくれますか?」とびっくりした様子でKさんが私のところにやってきました。私が確認すると、Kさんに依頼して間違いないとのこと。Kさんも選手の急な変貌に驚きを隠せていませんでしたが、その日以降、治療を希望するときはKさんが常に担当となりました。後に選手に理由を聞くと、「毎日(治療の有無を)聞いてきてくれてたからね」と教えてくれましたが、言い換えると「Kさんは信頼できる人」と選手が認めたのだと思います。心の距離を縮めたのは毎日のコミュニケーションであったことは間違いありません。
冒頭に書いた「安心感」は人間関係の土台です。その基本が「挨拶」であり、毎日のちょっとしたコミュニケーションが良い信頼関係には欠かせないことを今回の出来事から学ぶことができました。良い仕事には良い人間関係が欠かせません。そう考えると、早起きだけでなく、「挨拶」も三文の徳と言えそうです。
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加藤直樹
福島県出身。スポーツメーカー勤務後、独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として活動。その後、ジャイアンツアカデミーコーチを経て現在、巨人軍スペイン語通訳。