COLUMN
#58:キャッチボール(後編)

ひと昔前ほどではないかもしれませんが、公園や河川敷のグラウンドで親子がキャッチボールをしている風景を見ることは多いと思います。なかにはスポコンドラマのように親が厳しく指導しながらボールを投げている場合もあるかもしれませんが、その大半はキャッチボールをしながら親子の会話を楽しんでいる姿が一般的ではないでしょうか。我々スポーツ通訳者と選手にとってもキャッチボールは、必ずしも技術的なものというよりも心理的に大きな役割を果たしてくれるツールの一つです。後編では少し具体的に説明します。
◼️キャッチボールの役割 -練習サポート/コミュニケーション/信頼の獲得-
通訳者が選手とキャッチボールをするのには大きく役割が三つあると考えています。一つ目は練習のサポート。前回コラムで書いたように、通訳者がキャッチボール相手ができるとスムーズな練習時間の進行に貢献できます。
二つ目は冒頭でも触れたようにコミュニケーションツールの役割。近い距離でボールを投げ合って肩を慣らす段階では「昨日はよく寝れた?」や「昨日は何食べたの?」、或いは「今日は調子が良さそうだね」などなど、会話をしながら徐々に距離を伸ばしていきます。投げ終わったあとは外国人選手の間ではお馴染みのグータッチをしながら「ありがとう」と言葉を交わします。交わす単語は多くはありませんが、キャッチボールを通じてその日の選手のコンディションや気分を把握し、通訳者として「今日はどんなふうに接しようかな」と考えたりします。何気ない日々の会話の積み重ねと通訳者も一緒に体を動かしているという事実が選手との人間関係の基礎を築きます。
三つ目は選手の信頼の獲得。私が初めて、それぞれ担当選手とキャッチボールをした日を思い返すと「キャッチボールできるんだね!」と、どの選手も嬉しそうに非常にポジティブな反応を示してくれました。これは、必ずしも「キャッチボールができる=野球ができる」から好印象を与えたわけではなく、「通訳(言葉の変換)だけじゃなく、できることは何でもサポートするよ」という通訳者の姿勢が伝わったからなのだと思います。このとき、大袈裟に言えば、選手にとって通訳者は単なる “翻訳機” から “仲間” になったと言い換えることができるかもしれません。
◾️野球未経験の通訳者 -キャッチボールで築いた信頼-
プロ野球通訳者の中にわたしもよく知っている野球未経験の方がいます。その人は、野球の知識はありますがプレーしたことがないので、側から見ても投げ方や捕り方は素人だとわかります。その彼はある年に外国人投手の担当となりました。すると、このときは選手から声をかけるかたちでキャッチボールをはじめました。彼は野球未経験なので、断ることも選択肢の一つであるなか、リクエストに応えてキャッチボール相手をすることにします。すると、二人でキャッチボールすることが日課となっていき、選手が通訳者に投げ方を教える光景が日常となっていきました。数ヶ月が経つころには周囲のスタッフから「⚪︎⚪︎さんキャッチボール上手になったね!」や「投げ方がすっかり担当選手と同じだね!」という声が聞かれるようになります。さらに日々が経過すると、キャッチボールだけでなくランニングやトレーニングメニューも選手と通訳者が一緒に取り組むまでになっていきました。このとき、選手と通訳者が揺るがない信頼関係にあることは誰から見ても明らかでした。
上記のエピソードは、選手にとって通訳者が野球ができるかどうかは問題ではなく “一緒にやってくれる” ことが重要で、それは選手に対して “一人じゃないよ” というメッセージを伝え、心理的安心感の提供と通訳者に対する信頼構築に繋がることを教えてくれます。
キャッチボールを通じて親子の絆を深めていくのは映画やドラマだけでなく、現実世界でも同じです。そしてしれは、プロ野球選手と通訳者の関係にも当てまると感じています。「心のキャッチボール」という表現があるように、ボールのやり取りを通じて、選手との信頼関係をこれからも大切に育んでいきたいと思います。
一覧へ戻る
加藤直樹
福島県出身。スポーツメーカー勤務後、独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として活動。その後、ジャイアンツアカデミーコーチを経て現在、巨人軍スペイン語通訳。